――先ほど、パリにデパートが初めて出来たというお話をしましたが、「服が欲しい!」という欲望は現代にもつながるとして、よく考えると本当にその服が欲しいのか? 次々買っては捨てるような、代わりのある欲望に対して、紳士の「唯一の欲望」という対比が印象的でした。
安野 純粋なんだよね。だって、代わり映えなくずっとそれを求めるわけじゃない? 女の子たちは、「みんなが持っているから」という理由で新しいものを欲しがったりするけど、それは逆に「薄い」というか、単純な欲望かもしれない。
――安野さんが以前言っていたことをよく覚えています。「自分へのご褒美」でスイーツを食べたり、ショッピングをする人がいるけど、それで満たされなかったとしたら、本当は求めていないんじゃないか、と。心を癒すにも、自分が本当に好きで、本当に幸せになるものは何かを見つけることが大事だって。
安野 もちろんスイーツだって、目の色が変わるくらい、地の果てまで行く人がいるじゃない。そういう人は本当に満足していると思うけど、ぼやっとした感じで「パンケーキ食べたい♪」みたいな子は、本当に嬉しいのかちょっと分からない。――意外とそういう人が、変態的なまでにスイーツを求めている人を「気持ち悪い」とか言いますしね(笑)。安野 そう。おかしいでしょ? 純粋に「スイーツが好き」という気持ちの結晶みたいなものを持っている人のほうが正しいと思うんです。それこそ私生活に支障をきたすレベルだと思うんだよね。確かにバランスを取ってぼんやりしている方が、生きていくには良いと思うけど。でも、本気な人に対する尊敬…とまでは行かなくても、尊重はするべきだと思う。結局は自分の心をいかに観察しているかだと思うんです。「これが好きなんだ!」と、ハッキリ分かっている人は凄い。周りはぜんぜん見ないで、自分の内部に集中しているというのは、禅の修行に近いものがあるよね。内観法みたいな。
――そのあたりのテーマは本当に面白いです。今後も『鼻下長』を読む上で追っていきたいと思っています。それでは少し話は変わりますが、安野さんの作品は、雑貨になったりしていますよね。『鼻下長』でも下着メーカーとコラボで、下着を作られると聞きました。
安野 楽しいですね。クラシカルなムードで、ビスチエにガーターがついているものをデザインしました。下はショーツ。パニエもつけたかったんだけど、それは今回はつきません。
――実際に、『鼻下長』の漫画の中でキャラクターが着たりするんですか?
安野 うん、出したりする。
――それは楽しみです。『鼻下長』の下着もそうですけど、『オチビサン』でも雑貨がいろいろと作られていますね。今、絵を描く人の間で、「自分で雑貨を作りたい」という気運が高まっています。例えば自分の絵は、漫画っぽくもあるけど、絵本やファッション的な要素もある。漫画やライトノベル、ゲームの仕事とは違うかも…という人たちも、雑貨ならしっくりくるそうで。
安野 なるほどね。「エス」の投稿者たちの絵は、背景とキャラクターがセットだから。キャラクターだけが目立って、CGの技術で立体感があるというゲームキャラみたいな絵とは違うよね。
――安野さんは漫画を描きながら雑貨や展覧会活動をはじめた先駆者だと感じるのですが、きっかけとして墨流堂がありましたよね。紙版画集の『蔦と鸚鵡』でも巻頭にその図案が入っていました。(墨流堂:安野さんが「紙」にこだわって作っていた雑貨)
安野 あれは包装紙みたいなものを作りたかったんです。本当はポショワールみたいに「印刷が載っている感じ」の風合いにしたかったんですけどね。特殊な紙でやらせてもらえたから嬉しかったです。カードや便せんを作っていましたが、当時は本当に欲しいレターセットがなかったんですよ。和風な雑貨を見ても、ちょっと違うなと思っていましたから。でも、今はすごくいっぱいあるの。ぜんぜん私よりセンス良く植物をデザインしているものが増えて、良かったなあと思います。
――普段描いているのは、キャラクターじゃないですか。植物をモチーフにした図案を作ろうというのは、グッズではなくて本格的ですよね。とても素敵でした。
安野 今もやりたいけどね。例えば、カラスウリをモチーフにしたものも作ったけど、結局やってみると、昔の植物のデザインがいかに優れているかに気づくんです。あの時代の人たちは、植物を写生した絵も凄く上手いんだよね。何枚も何枚もスケッチして、それを最後に図形化している。しかも、すでに図形化されたものが常に身の回りにある環境でしょう。着物の柄もそうでしたから。常に目に入っているエッセンスが混ざった上での完成度。自分が作ると、どうしても今っぽい感じが入っちゃって、やはりプラスチック感が否めない。難しいことだと思うけど、続けてやっていった方が良いと思いますね。