トップページ > コラム > 『季刊エス』インタビューより②

――安野さんは、娼婦の生き方とビジュアル面の両方に興味があって今回の『鼻下長』を描かれたんでしょうか。
安野 そうですね。結局は、今と何も変わらないんですよ。若い女の子がおしゃれをしたい、美味しいものも食べたい、といった時に、働けなかったらやることは一つ。それは古今東西どの国でもそうなんだけど、私は今の日本とすごくカブるな、と思った。生活苦で売春をする子もいるんだけど、ただ贅沢がしたくて売春をする子もいる。当時のパリでは、お洋服屋さんの女店主が手引きをしたのよ。今だったら、セレクトショップで「あー、このマーク・ジェイコブズ欲しい! でも、先月あれを買っちゃったしな…。もうクレジットカードの分割も使いまくっているし…」と言う女の子に、ショップの人が「じゃあ、もう一個方法があるけど、どうする?」と言うようなものですよね。そこで、どうしても欲しい! と思った女の子は、一回は我慢をしても、もう一回そういう誘いをされると、そこから崩れていく。一度入ったらもう平気になるしね。
 
――鹿島さんの『パリ、娼婦の館』『パリ、娼婦の街』を読んで印象的だったのは、一九世紀末にはじめてパリにデパートが出来たことの衝撃でした。注文しなくても、店に行けば商品がズラッと並んでいるという光景がはじめて起こった。女性たちは「お金があればこれが手に入る!」と思ったことで、衝動的に大金が欲しくなる…。
安野 「もっと良いものがあるよ?」という感じですよね。手袋だって、それまでは寒いからしていたのに、すごく贅沢な手袋を見てしまえば「わー!」と欲しくなっちゃう。
 
――でも、当時は女性がお金を稼ぐ方法があまりなかった…。
安野 あっても低賃金だしね。お針子さんとかばっかりで。それが今の日本と似ていると思います。
 
――安野さんは叙情画を描いた時も、昔の叙情画風ではなく、現代の叙情、現代の女性像を描きたいと言っていましたよね。「欲望の話」を描く場合、それこそ『pink』や『ヘルタースケルター』みたいに、現代を舞台に売春やモデル仕事を描くこともできたと思うんですが、直接的に現代のモチーフを選ばなかった。あえて違う舞台にしようと思ったんでしょうか。
安野 やっぱり今を舞台にして現実的に描いたら救いがなくなっちゃうから。読んでいる人が拒否反応を示す話になっちゃうと思って。格好良くしないで描きたいところもありましたし。時代をスライドさせることによって、描きたいことをストレートに描くことができる、というのはあります。
 
 
 
 
――時代を変えることで象徴化されるところもあるんでしょうね。それに現代より、ビジュアル的にドキドキさせられるところも多かったです。インテリアや衣装など、あの時代が持っている様式美が刺激的でした。それを描きたいところもあったのではないかと思います。
安野 もちろん。でも、例えばナナは長い髪をしているけど、高級娼婦は流行の最先端にいる存在だから、本当なら短い髪をしているはずなの。ただ、その時代のすごく売れている子の中には「みんながしているから、私はこういう髪型はしない!」と思う人が絶対いるはずで、そういう子だったら逆にこの髪型かな、と思って描いたんです。当時の写真を見ると、みんな短い髪型をしているんですけど。
 
――ベルエポックくらいでは、一般の人は髪を上に結い上げていますが、カルチャー的に進んでいる人はみんなこの髪型ですね。安野 それまでは、こんな短い髪型はあり得なかったから、やってみたかったんじゃないかな。ずっと髪を長くしていて、洗うのも結うのも大変だったんだよね。短くなったらお風呂でしょっちゅう頭を洗えるし、楽しくてしょうがないと思う。あと、この時代の人たちはパーティとかで、死ぬほど激しく踊るでしょう? エネルギーがあふれまくっている。「動けるぜー!」と。それまでは、長いドレスにコルセットでしずしずとしか歩けなかったんだから、すごい解放感だったと思う。


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